冴えない40代家族海外移住を目指す為不労所得稼ぎ方

冴えない40代の海外移住の為の稼ぎ方

自分自身の振り返り

自営業の両親から生まれた私はごくごく普通な幼稚園、小学校、中学校に行き沢山の仲間に出会えた。当時は意思決定も自分自身ではできなく常に流れに乗るタイプでした。スラムダンク世代でバスケ部に入ったり、スケボーしたり、古着にはまったり、エアマックス買ったり、ろくでなしブルースに影響されたり、自由にやらせてもらってた学生時代。

幼少期の頃からスキーもやっていて、高校は県外高校スキー部に進み、15歳から一人暮らしが始まり案の定グレだす始末で、入学早々謹慎をくらい部活も退部、、グレだすっていってもかわいいもんです。親から離れて生活していたらまぁ自由に夜遊びするし、タバコ、酒飲むは女遊びもでお金もかかるし、15、16歳では金銭的なかなか厳しいのでパチンコで生活費稼ぐわけです。学校終わりに着替え持って直ぐにパチ屋に、しかも羽台ベブンブリッチで毎日5000〜10000を稼ぐを繰り返す。土日は高校の先生も隣で打ってたりしてたこともあったなあ、

高校から全く知らない土地で新しい生活を始めた訳ですが、入学初日から大切な仲間達と出会い楽しすぎる高校生活が始まりなんとかさ先生方の助けで無事卒業

ちょうど経済もバブル弾ける時代かな、バブルの時代は両親の会社も景気が良く幼い頃から海外旅行に連れて行ってもらってた、

アメリカ、シンガポール、マレーシア、バリなどなどでした。当時は日本と海外の差も分からない年頃でしたが、その時の経験で世界は沢山の人種や文化、思想がある事を感じましたね。

だから外の世界もすんなり受け入れる体勢が付いていた事は親に感謝。

最後に行った国はアメリカでコロナ直前に行って、ほぼ仕事だったけど楽しかった。服屋さんのコンサルもやっていた事があって買い付け代行とか買い付けの方法なども仕事でやってました。今も依頼があればやりますよ^_^

まぁそんなこんなで将来の事は何も考えてない中、、とりあえず社長になりたいってだけで大学は経営学部を専攻し大学生活突入

まぁ相変わらず悪友が沢山いて良い事悪い事いろいろ経験した、ハードコアバンドをやったりDJしたり、音楽が大好きなキッズで、この頃にcannabisにも出会うだよね、ハマりはしなかったけど